保護者の皆様、子供たちは、体調を崩すことなく、2日間、元気に過ごすことができました。鎌倉散策も無事に終え、予定通り出発しました。
歴史コラム その4 (最終回)
班別行動を終えた子供たちが、集合場所の鶴岡八幡宮に集まってきました。大石段を上って、本宮でお参りしてきたようです。どのようなお願いをしてきたのかな?
この大石段、悲しい事件の舞台だったという伝説があります。鎌倉時代の雪が降るある日、3代将軍が、2代将軍の子でおいっ子にあたる公卿(くぎょう)にここで襲われて亡くなったそうです。おいっ子に恨まれていたなんて…。
源氏の血は3代で途絶えてしまい、幕府は大混乱。幕府を倒そうとする承久の乱が起きました。
このピンチを救った人が「尼将軍」北条政子です。
政子は、夫の頼朝と御家人(家来)をつないでいた「ご恩と奉公」の大切さを御家人に話しました。政子の話に感動した御家人たちは、幕府のために命をかけて戦ったそうです。
この話、6年生は学習しましたね。
やはり政子は強いのかなぁ…。
今から10年ほど前、鶴岡八幡宮のシンボルで、大石段の脇にある大イチョウが強風により倒れてしまいました。この大イチョウ、公卿がここに隠れて待ちぶせしていた、または実は後世に植えられた2代目の大イチョウだと言われています。
大イチョウの一部は移植され、再生されているところです。もとのような大イチョウになるまでに、どれくらいの年月がかかるでしょうか。私たちが見たこの木は、これから大きく生長し、将来の人を楽しませてくれることでしょう。
歴史は、この大イチョウのように過去と現在と未来をつなぐものです。子供たちには、歴史を知ったり、社寺を見学したりする楽しさを感じてもらえたらうれしいです。
追記
先日、6年生の授業で、鎌倉時代に元(中国・モンゴル付近にあった国)が日本に攻めてきた元寇について学習しました。元軍と日本軍の戦い方の違いを考える活動をしていた時、ある児童がこのような質問をしてきました。「どうして元軍が弓矢の先に毒を塗っていたとわかったんですか?」
いい質問です。どうやら教科書の内容を疑っているようです。歴史は出土した道具、文字資料、絵画、自然科学分析などをフルに使って復元されます。定説の真偽を考えるなんて、学者レベルです!こちらも「それはね、〜」と教えたくなりますが、そこはグッと我慢。ぜひ自分で問いを解決してみましょう。
5年生のみなさん、来年は歴史の学習を楽しんでくださいね。
コラム連載はこれで終了です。なるべく簡単な文章で書いたつもりですが、分かりにくかったり、史実と異なったりした場合はすみません。長々と失礼しました。
歴史コラム その3
修学旅行2日目、「いざ、鎌倉!」
子供たちは、班別行動をしながら鎌倉の町を楽しんでいるようです。
鎌倉の中心は、南を海に、北・東・西の三方を丘に囲まれています。鎌倉時代の武士からすれば、敵から町を守る良い場所です。しかし、平らな場所は少なく、町づくりには苦労したようです。また、現在多くの店などがある中心部は低い土地で、当時は水を含んだ場所だったそうです。
さて、この低地には、鶴岡八幡宮へ向かう若宮大路という参道が通っています。今でも車道の中央には、車道よりも一段高い歩道が残っており、「段葛(だんかずら)」と呼ばれています。段葛は、今から800年前に鎌倉幕府を開いた将軍、源頼朝が妻の北条政子の安産を願ってつくらせたものと言われています。この道のおかげで、ぬかるみに足をとられることなく、お参りできたのでしょうね。
子供たちにこの話をしたところ、「頼朝って妻思いだったんだね。」と返ってきました。頼朝の死後、政治を支えて「尼将軍」と呼ばれた政子、何だか強そう。頼朝は愛妻家?それとも…??諸説あるようです。
班別行動満喫中
班別行動満喫中
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班別行動満喫中
昨日の撮影会 ガンダム前で
班別行動満喫中
出発