「今やる人になる40の習慣」 林 修さん
~人生の「添え木」を見つけている~
「ライバルは一度,闘えば,わかる。もう一度闘ってみたいと思うから」と述べたのは,空手の覆う大山倍達(まさたつ)氏ですが,人は競い合うなかで成長していくものです。ですから,同じフィールドで戦っている,適切な「ライバル」を見つけることは大切なことです。僕の予備校の,合格した生徒に対するアンケートのなかには,「ライバルはいましたか?」という項目があるのですが,思った以上に多くの生徒がYESと答え,それが励みになったとも答えています。そしてまた,誰をライバルとみなすかどうかが,その人の器の大きさであり,価値であると言えます。
理想は,いつも自分より少し前を走っているライバルを見つけること。そうすればいつも現状に満足せず,向上心をもって物事に取り組むことができます。逆に,自分より下の存在をライバル視して,自分のほうが上だと満足して自らの方が上だと満足して自らの成長を阻むようでは最低です。
こうして「ライバル」をもつことと同様に,僕は自分のフィールド以外の場所に「添え木」を見つけることも大切だと考えています。
添え木とは,一般には草木が倒れないように支柱として添えた木のことを指します。人は弱いものです。だから,意志がくじけそうになったり,誘惑に負けそうになったり,あるいは,つい安易な道を選びたくなるものです。そんなときに,
こんなことではダメだと,正しい道に引き戻してくれるような存在をもつことも必要となるのです。
僕の「添え木」は,長年通っているお寿司屋さんやてんぷら屋の大将です。これらのお店に伺うたびに僕が痛感するのは,自分が生涯の仕事と決めたものに,ただひたすら誠実に正面から向き合うこと,そのことの尊さと大切さです。自分とはまったく異なった道を歩んでいるのですが,それでも彼らのひたむきさは十分伝わってきます。
彼らは,毎日会うような存在ではありません。しかし,たまに会った際に,彼らの誠実な仕事に触れると,僕が不真面目であったり,人として間違ったことをしていたら,この店の敷居をまたぐことはできないな,いつもそういう思いを抱きます。そして,彼らに負けないように,というよりも,この店に堂々と来られるように自分も頑張ろうという思いをかき立てられるのです。
こういう存在は,植物が倒れないように支える「添え木」に等しいものです。単に,美味しいお寿司やてんぷらを食べさせてくれるだけではないのです。
彼らは,同じ道で競っているわけではないので,「ライバル」とは呼べないでしょう。しかし,その姿が,先に述べたような思いをかき立ててくれる点で「ライバル」に等しい存在です。さらに,多くの「ライバル」とはどうしても利害関係が発生するのに対して,そういうものがないだけに,より純粋に一人の人間として接することも可能になります。
そして,自分が他者のことを「添え木」だと思っているときには,意外にそれが相手にも通じているものです。僕がまた来てくれるように頑張らなければ,という思いになるということを,先の二人も述べてくれました。
自分がひたむきに生きているかどうかは,同じようにひたむきに生きる人には通じるものなのです。一人の人間がまじめに生きることは,ほかの人の「添え木」の役を果たすということになるのです。
互いが互いの「添え木」になるような関係を,見つけてください。そんな関係を何人もの人と築いていくことが,実は人生の意味そのものであるといったら,大げさでしょうか。